2021年 04月 21日
貴船道は恋の道?
上賀茂神社の北側には鞍馬街道が通っている。その路を北へ行くと鞍馬、または貴船を通り若狭へ抜けることが出来る。鞍馬寺は源義経が幼い頃に修行した山と伝えられている。また『源氏物語』では、光源氏が「わらわやみ」(マラリア)の加持祈祷の治療をしたところ。そしてそんな病気のときでも光源氏は若紫を見染めたところでもあることを、わたし長年の研究の上、当ブログで明らかにしたことはまだ読者の記憶に残っているかと思う(笑)。
近くて遠きもの。…思はぬはらから、親族の仲。鞍馬のつゞらをりといふ道。
遠くて近きもの。極楽。舟の道。人の仲。
遠くの親戚より近くの他人!(筆者)
清少納言は上手いことを言う(はじめの二行は『枕草子』からの引用)。鞍馬山(寺)のつづら折りは本堂までの距離はそう長いものではない。ところが叡電貴船口から貴船神社本宮・奥宮までは、近くても遠く感ずるのはわたしだけだろうか。
鞍馬街道、貴船との分岐。右へ行けば鞍馬、左の道を進めば貴船(神社)を通り芹生峠へ至る道である。橋の欄干の上で猿が車に向って手を出しても、御菓子を与えてはいけません。
もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出ずる魂(たま)かとぞ見る(伝 和泉式部)
恋に悩む(恋多き?)和泉式部は、いく度この道を貴船神社に向って歩いたのだろう。彼女は『源氏物語』の作者 紫式部と共に彰子様の女房であったのだ。そして定子様の女房であった清少納言とは、交友関係はあったように聞く。
ところで紫式部は和泉式部のことをどう評していたかというと、
「(手紙といえば、)和泉式部という人こそ素敵な手紙を書き交わしたようですね。ただ和泉には、ちょっと感心できない点があるのですが、それでも日常で手紙を走り書きする即興の中に文才がある人で、何気ない言葉も香気を放つのが見えるようでございますね。歌は、本当にお見事だこと。和歌の知識や理論は、本格派歌人の風格でこそございませんが、口をついて出る言葉言葉の中に必ずはっと目にとまる一言が添えられています。
とはいえ、彼女が人の詠んだ歌を批判したり批評したりしているものは、[いやそこまでは頭でわかってはいますまい。思わず知らず口から歌があふれ出るのでしょう]と見えるタイプでございますね。[頭の下がるような歌人だわ]とは私は存じません。」
いやはや褒めているんだか、貶しているんだか分かりません!? これに続いて清少納言のことも評しているけれど、清少納言大好きなわたしとしては聞くに堪えません。
※和泉式部評は『紫式部日記』より引用。現代語訳:山本淳子氏
※続きます
新緑の緑と鳥居の朱の色が、互いを引き立てあって美しいですね。近くて遠い、竹斎さんのように、当時の平安京では、『枕草子』を読んで、なるほど確かにそうだと思った人が多いのでしょうね。「にくきもの」、「すさまじきもの」、後世のわたしが読んでも、うまいことを言うなあ、昔からこうだったのだなあと感嘆することが多いです。
和泉式部やそして、紫式部が日記を記していた当時にはすでに悲運だった定子に使えていた清少納言を表する言葉とその口ぶりに、わたしは紫式部が嫌いになりました。和泉式部日記や和泉式部の歌からは、貫之による業平評、「心あまりて言葉足らず」が思い浮かぶのですが、業平も和泉式部も、あまる心、あふれる思いを、凡人には真似できない天性の才で、言葉を通して伝えることができた歌人ではないかと感じています。
最後のお写真からは、かなり階段が急に見えます。風情は欠いてしまいますが、多くの人が雨で足元が滑るときにも安心して訪ねられるためには、やはり手すりも必要だったのでしょうね。
お忙しいところコメントありがとうございます。清少納言は好きですね。次に好きなのは『徒然草』でしょうか。長明の『方丈記』の文体は惚れ惚れします。貫之と業平はこれから勉強です。
結構イタリア文学も好きで“ペテン師”と言われる『カザノヴァ回想録』のリアルさには舌を巻きます。そしてカザノヴァを評したッヴァイクの文章には痺れっぱなしです。そのうちにカザノヴァとツヴァイクのことを書いてみようと思っています。長くなりました。 竹斎