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平安神宮神苑でカキツバタを観る


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カキツバタが見ごろと聞き、久しぶりに訪れたのは、午後からは雨が降るという予報が出ていた日だった。ここを「三河の国八橋」と見立てよう。近くには八橋検校の眠る寺もあることだし。京都銘菓の一つでもある「八ッ橋」は生も美味しいけれど、たまに食べる琴のかたちをした焼いたものも美味しいのだ。黒谷光明寺の門前では名物として売られている。



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昔ある一人の男がいた。その男は自分の身をこの世に不要のものと思い込んで、「都には住むまい。関東の方に職を探し求めに行こう」と出かけて行った。


  東の方へ、友とする人ひとりふたりいざなひていきけり。
  三河の国八橋といふ所にいたれりけるに、その河のほと
  りの木の陰におりゐて、乾飯(かれいひ)食ひけり。
  その河のほとりにかきつばたいとおもしろく咲きたり。
  それを見て、ある人のいはく、「かきつばたといふ五文
  字(いつもじ)を句のかしらにすゑて、旅の心をよめ」
  といひければ、

から衣きつつなれにしつましあれば はるばるきぬる旅をしぞ思ふ

  とよめりければ、みな人、乾飯の上に涙おとしてほとびにけり。



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らの着物をつづけていると柔らかく身に馴染んでしまう。ちょうどそのようにいつも身近にいてよく親しみあって離れがたいま(妻)が都には住んでいるので、その都をあとにるかに遠くやって来てしまったび路の遠さをしみじみとやるせなく思うことだ。

とよんだので、同行の人みんな、悲しくなり、お弁当の乾飯の上に涙を落として、乾飯が涙でふやけてしまったのだった。


※乾飯(かれいひ)とはアルファ米のようなもののようだ。そういえば幼い頃にオヤツとして食  べていたことを思い出した(いつの時代に生れたの、というツッコミはしないでね)。
※太字で強調した文字をつなぐと「かきつばた」となる。短歌の発句から第五句までの最初のかなを順に読むと「かきつばた」となるように作る。その際、かなの清濁は問題にしないようだ。


今朝、古今和歌集の序(紀貫之)を読んでいて、ふとこの文を書いてみる気になりました(急いで写真の編集をやったので目がチカチカしています)。当然参考にした本もあります。『伊勢物語』は好きな本の一つですがまだ読み終えていません。あっちの本こっちの本と十冊ほどの本を並行して読むのでなかなか読了しないのです^^; (最近読んで面白い本だな、と思ったものは「ツヴァイク全集」の幾冊かと『カザノヴァ回想録』です。おすすめです。)

紀貫之は「才学ありて、和歌を能くし、邦文を能くす。貫之より後、邦文日に興る。貫之の日本の歌道に於ける、其功もとより炳焉(へいえん)たるのみならず、蓋し日本の文章に於ける、其功また甚大にして、百世の称賛を値するものあり。」…露伴

紀貫之は在原業平のことを「その心あまりて、言葉足らず、いはゞ、しぼめる花の色なくて、匂い残れるが如し。」といっています。意味深い言葉のような気がします。その内『伊勢物語』をパクッテ(リスペクト?)何かしてみたいと妄想しています(和歌にしろ俳句 ー 芭蕉でさえ ー にしろリスペクトが多いんです)。


※参考資料
 『伊勢物語』 『古今和歌集』 『文章講義』…露伴

わたくしごとですが、昨日は胃カメラ検査をするはめに^^; 「鼻血ブー」(50年前の流行語)になりひどい目にあいました。面の皮は厚いのに鼻の粘膜は薄いみたいです。コロナ禍で引きこもりが長く続き(飲酒もたたり)ストレスをため込んだようです。ストレス解消に、明日はカメラを持って広沢池まで徒歩でいってみようかな。





by chikusai3 | 2021-05-09 20:07 | 伊勢物語 | Trackback | Comments(0)