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渉成園に千賀の浦を想ふ


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むかし鴨川のほとりの六条のあたりに、たいそう趣のあるつくりの家と広い池をめぐらせた庭があった。皐月のはじめのころ、燕子花が満開をすぎて、雨に濡れた風情が美しく哀れさえ感じられるころ、家のあるじである業平は親王たちを招き、ひと晩じゅう酒宴をひらき、音楽を奏で楽しんでいた。夜が次第に明けてゆくころに、このお屋敷の庭の美しいことをほめる歌をつくり詠じる。



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そこにみすぼらしい姿をした男がやってきて、次のような歌をよんだ。


     塩竈にいつか来にけむ朝なぎに釣りする舟はここに寄らなむ


業平さまのお邸にいると思っていたのに、いつの間に塩竈に来てしまったのであろうか。それはこの男がかつて陸奥の国へ行っていたときに、都の近辺では見ることができない風情のある景色のいい所がたくさんあった。わがみかど六十余国の中に塩竈という所に似通うようなすばらしい景色の所はなかったのだ。だからこそ、男がこの業平のおやしきを褒め称え、「いつのまに塩竈に来てしまったのだろう」と詠んだということである。



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そして最後に歌を詠じたみすぼらしい姿をした男の顔をよく見れば、ただの乞食ではなかった。な、なんと その男は、乞食に扮した光の君であったとさ。殿、おふざけがすぎます、と惟光がいったかどうかは 知らん(ここは「須磨」の設定とすべきだったかな)。



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   わが背子を都にやりて塩釜の籬の島に待つぞ恋しき  「古今集」

   松島湾内の島「籬の島」には多くが詠まれる



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もそも、多くの先人たちの文藻に言いふるされていることではあるが、

松島は日本第一の絶景であって、まずは中国の洞庭・西湖に比べても遜

色がない。その地勢は、東南の方角より海を入れて入り海をかたちづく

り、湾内三里、かの浙江を思わせる満々たる潮をたたえている。島とい

う島のあるかぎりをここに集めて、そのうち、高くそびえるものは天を

指さす尊大の形を示し、低く横たわるものは波の上に匍匐膝行(ほふく

しっこう)する恭敬の状を呈している。あるいは二重にかさなり、三重

につみ重なって、左に分かれているかと思えば、またあるものは右に連

なっている。……” 芭蕉『おくのほそ道』現代語訳:穎原退蔵氏

【注意】「えせ物語」をイメージしたものなので、受験の参考にはしないでねw

※『小吉の女房2』(3)に 三枚目の写真の場所、“回棹廊” が出ていたことを今日気がついた。








by chikusai3 | 2021-05-11 21:03 | 伊勢物語 | Trackback | Comments(0)