人気ブログランキング | 話題のタグを見る

おくのほそ道 — 塩竈神社に和泉三郎の宝塔を観る


おくのほそ道   —   塩竈神社に和泉三郎の宝塔を観る_c0406666_15022404.jpg
塩竈神社拝殿


おくのほそ道   —   塩竈神社に和泉三郎の宝塔を観る_c0406666_09003210.jpg
塩竈街道(歌碑、モニュメント、要所に風情ある商家が並ぶ塩釜のメインストリート)


リュックザックをホテルに預け、身を軽くして塩竈街道を西に向って歩いた。目指すは陸奥国一之宮・塩竈神社である。雨が降っているけれど、少々の雨は気にしない 気にしない。
おや? こんな所に屏風型の石碑が建っている。なにやら物語の一節のようだ。立ち止まって読んでみる。

おくのほそ道   —   塩竈神社に和泉三郎の宝塔を観る_c0406666_09020976.jpg
『伊勢物語』モニュメント(塩竈に)


物語の内容は、むかし都の鴨川のほとりの六条あたりに、左大臣が風情のある家に住んでいた。そこで天皇の皇子たちが酒宴をひらき屋敷のながめのよいことを歌に詠んでいた。そこへ老人がやってきて詠んだ歌が…



   塩竈にいつか来にけむ朝なぎに釣りする舟はここに寄らなむ



塩竈にいつのまに来てしまったのだろうか、朝なぎの海で魚釣りを
する舟はここに寄ってほしい、と詠んだのだった。それは、この老
人が陸奥へ行っていた時に、日本の中で塩竈という所ほど風情のあ
る景色のよい所はなかった、と思っていたからである。老人はこの
左大臣の屋敷(庭)を賞美して、「塩竈にいつのまに来てしまった
のだろう」と詠んだのである。その老人に扮した人物は誰であった
ろうか?

「都の鴨川のほとりの六条あたり」とは東本願寺渉成園(枳殻邸)をイメージしてもらうとぴったりくると思うのだが、いかがなものであろうか? 渉成園は塩竈の景色をモデルにしたと言う説もあるようなのだ。


おくのほそ道   —   塩竈神社に和泉三郎の宝塔を観る_c0406666_09122167.jpg
道標「壺の碑」ではないけれど

より詠み置ける歌枕多く語り伝ふといへども、山崩れ、川流れて、

道改まり、石は埋もれて土に隠れ、木は老いて若木に代はれば、時移

り、代変じて、その跡たしかならぬことのみを、ここに至りて疑ひな

き千載の記念(かたみ)、今眼前に古人の心を閲(けみ)す。行脚の

一徳、存命の喜び、羇旅の労を忘れて、涙も落つるばかりなり。」
※引用はすべて『おくのほそ道』より

芭蕉の漢文調の文章もなかなか良い。俳諧人の“かろみ”はないけれど、気合が入っているし。


おくのほそ道   —   塩竈神社に和泉三郎の宝塔を観る_c0406666_09170436.jpg
塩釜神社表参道


本塩釜駅から西へ15分余り歩けば、そこはもう塩釜神社表参道である。鬱蒼とした杉木立が雨に煙り荘厳な雰囲気である。裏参道の方が歩きやすく、近道ではあるが、あえて表参道を選んだ。
東北鎮護・海上守護の陸奥國一宮ですが、不思議なことに塩竈神社の創建年代は明らかではなく、『延喜式』(927)の神名帳にはそ名が載っていないそうです。


おくのほそ道   —   塩竈神社に和泉三郎の宝塔を観る_c0406666_18225873.jpg
表参道随身門



おくのほそ道   —   塩竈神社に和泉三郎の宝塔を観る_c0406666_09211402.jpg
朱漆塗銅板葺入母屋造の拝殿。手前には文治神灯が見える


朝、塩竈の明神に詣づ、国守再興せられて、宮柱ふとしく、
彩瑑(さいてん)きらびやかに、石の階(きざはし)九仞(きゅ
うじん)に重なり、朝日朱の玉垣をかかやかす。」

早朝、塩竈神社に参拝する。伊達藩主・独眼竜政宗公が再建したもので、社殿の宮柱は太く、彩色したタルキはきらびやかで、石段は高く連なり、二百余段ある。朝日が(今日は雨降ってるけど^^;)朱塗りの垣根を輝かしていた。


おくのほそ道   —   塩竈神社に和泉三郎の宝塔を観る_c0406666_09243609.jpg

現社殿は元禄期のもので元禄8年(1695)から9年の歳月をかけ宝永元年(1704)竣工とのことです。塩竈神社は本殿は素木なのに対して拝殿は総漆塗りです。拝殿の朱の色には魔除けの意味があるようです。
江戸時代、塩竈神社には法連寺という神社を守る寺があり、僧侶が朱塗りの拝殿で読経を、神職が本殿で祝詞を奏し、僧侶の立入れる場所と神職の奉仕する場所とを区分するために分けた、とのことです。

おくのほそ道   —   塩竈神社に和泉三郎の宝塔を観る_c0406666_09345499.jpg
和泉三郎の宝灯

前に古き宝灯あり。鉄の扉の面に“文治三年和泉三郎寄進”とあり。
五百年来の俤(おもかげ)、今目の前に浮びて、そぞろに珍し。」

おくのほそ道   —   塩竈神社に和泉三郎の宝塔を観る_c0406666_09371180.jpg
太陽と月の意匠に趣きがある


“社前に古い宝塔がある。その鉄の扉の面に、文治三年和泉の三郎寄進と彫られている。もう五百年もむかしになるその人の俤が、ただごとならずありありと浮んで来る。和泉の三郎、名は忠衡(ただひら)。義経が平泉にあるとき、父秀衡が死んだ。一族ことごとく義経に叛いたが、ひとり忠衡は父の遺命を守って、義経を捨てなかった。父の遺命を守ったのは孝であり、義経を捨てなかったのは忠である。兄泰衡に従わず、義経に従って果てることをおそれなかったのは勇である。このような忠衡をどうして称えずにいられようか。”…森 敦
判官びいきの芭蕉のこと、「勇義忠孝」の士を慕った翁の胸の内は、こんな思いだったのではないだろうか。

※和泉三郎とは
 藤原秀衡の三男忠衡で、灯籠寄進の二年後、一族ことごとく父の遺命に
 叛いた兄泰衡の襲撃を受け、義経とともに戦死した。灯籠は今に残る。
 寄進された当時の灯籠は、笠の部分が現在の物と違っていたことが分っ
 ている。


f:id:sasurai1:20200813214229j:plain

参考 雪見燈籠・豊臣秀頼が奉納(京都大原寂光院)

さてさて 明日のこともあるし、そろそろホテルへ戻るとしよう。帰りは裏参道を通って。


おくのほそ道   —   塩竈神社に和泉三郎の宝塔を観る_c0406666_18245863.jpg
随身門(境内側)



おくのほそ道   —   塩竈神社に和泉三郎の宝塔を観る_c0406666_18271655.jpg
狛 犬

とても時代のありそうな狛犬で、顔の造作は独特な感じがした。



おくのほそ道   —   塩竈神社に和泉三郎の宝塔を観る_c0406666_09461615.jpg
東神門(裏参道)

裏参道からお参りするには、東神門をくぐると左手に絵馬堂と舞殿がある。


おくのほそ道   —   塩竈神社に和泉三郎の宝塔を観る_c0406666_09471791.jpg


おくのほそ道   —   塩竈神社に和泉三郎の宝塔を観る_c0406666_09474217.jpg
裏参道鳥居


おくのほそ道   —   塩竈神社に和泉三郎の宝塔を観る_c0406666_09490391.jpg
裏参道のほうが表参道より古い感じがあり、長い参道は趣がある。


おくのほそ道   —   塩竈神社に和泉三郎の宝塔を観る_c0406666_09492962.jpg

この辺りに芭蕉一行が泊まった。法連寺(明治四年廃寺)門前の治兵衛の家はこの辺にあったのだろう。あたりは暗くなってきていたが、あいにく「目盲法師の琵琶を鳴らす奥浄瑠璃を語る」声や入相の鐘の音は聞こえてはこなかった。


竈の浦に入相の鐘を聞く。五月雨の空いささか晴れて、夕月夜幽かに、
籬が島もほど近し。蜑(あま)の小舟漕ぎ連れて、肴分かつ声々に“つなで
かなしも”と詠みけん心も知られて、いとどあはれなり。その夜、目盲法師
の、琵琶を鳴らして、奥浄瑠璃といふものを語る。 平家にもあらず、舞ひ
にもあらず、ひなびたる調子うち上げて、枕近うかしましけれど、 さすが
に辺土の遺風忘れざるものから、殊勝におぼえらる。」


塩竈神社に参拝し、「文治神灯」を見ることが塩竈に立寄った目的の一つだった。梅雨のさなかでもあり、雨が降っていたので足元は悪かったが、とてもよい雰囲気だった。夕方だったので鹽竈神社博物館はすでに閉館していて、拝観できなかったのが心残り。
東北の人間でも、松島へは寄っても塩竈は通り過ぎてしまう。一度は立寄って、塩竈神社や一部残っている古い町屋を見ることをお薦めしたい。


おくのほそ道   —   塩竈神社に和泉三郎の宝塔を観る_c0406666_09531530.jpg
御釜神社

塩釜神社の末社で裏参道を出てすぐの所に鎮座する。塩釜神社別宮と同じ祭神である塩土老翁神(しおつちおじかみ)を祀っている。


いよいよ明日は、日本三景の一つ、待ちに待った松島である。今夜の夕食は、コンビニで買ったおにぎり二個と缶ビールだけ^^;
※続きます















by chikusai3 | 2021-06-14 21:05 | 「おくのほそ道」をゆく | Trackback | Comments(0)