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ぎゃらりー竹斎堂

写真、日々のたわごと、自作の小説、印象に残る本・詩・短歌・俳句などを紹介します。


by Chikusai

歌人で小説家・田山花袋の頭はかたいか?  花袋の親友-民俗学者・柳田国男とのことなども…




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最近明治の小説家・田山花袋にハマっている。花袋は、いっときは時代の寵児だったようである。
田山花袋の随筆というか…あるいは明治大正文壇史と言おうか、はたまた私小説のようにも思え
る本を最近二冊読んでいる。そこで分ったことと言えば…

  田山花袋は小説より文芸・文壇評論が面白い?
1.なかなかの勉強家・読書家であった。
2.ああでもない、こうでもないと、思索に没頭する性格である。
3.小説家になる、という確固とした目標を持っていた。
4.龍土会という素敵なグループ(国木田独歩、島崎藤村、柳田国男など)・友人を持っていた。
5.尾崎紅葉、森鴎外などの先輩に恵まれていたという幸運。


時代の寵児になった花袋…だが凋落も早かった!
「…今全集を編みかけてゐるので、昔書いたものをぽつぽつ見てゐるが、何うも拙くって読めない。
何してこんなに拙いものが、ああいふ風に世間に迎へられたらう? 『蒲団』などが何うしてあん
なにセンセイションを起こしたろう? かういふ風に思ふと、非常に恥かしくなる」と花袋は
『近代の小説』で語っている。


芭蕉の心境ー不易流行に達した花袋?
そして悟った…「すぐれた作ならば、いつ読んで見ても感動されるものではないか。」「本質的の
ものならば、いつまでも残ってゐるのではないか。忘られずに残ってゐるのではないか。」と。

「人間の心の底まで入って行くようなもの、人間の魂をも揺(うご)かさずに置かないやうなもの、
いくら年月が経っても、人間が矢張やってゐるやうなもの、もっと詳しく言へば、不易なもの――
その時だけ流行って、時が経てば、すぐ変って行って、了ふやうなものでないもの……さういふも
のをつかんで書いた傑作は、いつまで経っても古くならないのではないか。……社会の表面で行わ
れてゐることだけに興味を向けてゐては、到底第一流の作家になることは出来ないと言ふのではな
いか。」という心境に達している。



田山花袋は文芸評論家である?
『近代の小説』『東京の三十年』二冊を読んでの感想をひと言でいえば…田山花袋は、ひとかどの文芸
評論家といっても良いのではないか。同時代の花袋の友人である…正宗白鳥のイケズで、妙に冷めた感
じのする文芸評論よりは好感がもてた。

しかしですよ、『近代の小説』を書き残してくれた田山花袋の記憶力、創作力、構成力は並の頭では出
来ませんよ。やわらかい頭がないとね。


ところで…近代日本文学の作者の中で、名前は少しは知られているのに、ほとんど読まれていない作者
をまずあげれば、田山花袋であることはまず間違いない。同じ「自然主義作家」である国木田独歩や
島崎藤村とくらべると可哀想なほど読まれていない(それは私の場合でもあるけどね)。

『蒲団』『田舎教師』でさえ読んだことがない、いや読みたいとも思わない。それは何故であろうか…?
 それは花袋のあの肖像写真に原因があるのではないだろうか、人は見た目が九割と言うじゃありませか
(もっと男前に写った写真はなかったのかなぁ)。



花袋は柳田国男とともに歌人である?
今回花袋の本を読んで知ったことがもう一つある。それは氏は歌人でもあったということ。若い頃から
桂園派の歌人松浦辰男についていたと本人は語っている。意外なことに民俗学者の柳田国男とは、十代
の頃より歌のグループをつくっていたというから、花袋と同様柳田国男はマルチな才能の持主でもあっ
たのである。花袋の歌については またいずれ…。




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柳田国男の歌は、ずば抜けて巧かった?
柳田国男の実兄には桂園派の歌人で眼科医の井上通泰がいた。その弟が民俗学で知られる柳田国男である。
通泰によれば「国男は子供の時から何事でも好く出来て、兄弟中で一番怜悧であった。」「柳田と私は
九つ違ひで、柳田の下に静雄、静雄の下に輝夫、つまり松岡映丘がゐる。」


「柳田は乱暴なことは少しもしなかったが、いたづらは随分やったものだ。しかも、国男のいたづらには、
必ずどこかしら創作的なところがあって、何といふか、才気煥発で実に奇想天外なものが多かった…」よ
うで、東京へ連れて来て十三歳を過ぎた頃、「何の気なしに、国男の机の上に置いてある半紙を半分にし
た日本紙の仮綴りを手にとって見ると"湌眼録"と表紙に書いてある。中は全部漢文で、はてなと思って読
んで見ると、それが全部、前にいったような奇想天外ないたづらをして、母に叱られたこと、つまりお眼
玉を頂戴した日記なのだ。それを湌眼録と銘したのも面白いが、十三四で、こんなことをする子供でもあ
った。」


また…「たしか(国男が)十六七の時だったと思ふ、あれの歌仲間がいつも四五人集まってゐたが、その
うちで今でも私が憶えてゐるのは田山花袋だけだ。…私の見るところでは、その仲間の中では、やはり何
といっても国男の歌が一番ものになってゐた。柳田の次が田山(花袋)の順…」


「その時分に国男の書きためた歌が五六十もあったと思ふが、三浦千春といふ歌詠み ― 当時相当な人だ
ったが、その人が私のところへ遊びに来て、何かのついでに、私の机の上に置いてあった国男の歌本を見
て、"それは何だ" といふ。そこで、"これは古本屋にあったものだが、詠手は知れぬ、いい歌だから浄書
させて置いたものだ" といって見せてやった。すると一句一句非常に感心して "こりゃ、立派なものだ。
何にしても、これだけの歌をのこしてゐながら詠手が分らぬとは惜しいことだ" といって、ひどく感心し
てゐるのだ。内心をかしくて堪らなかったが、実は玄関先にゐる、あの弟の作だといって大笑ひをした事
があった。が、とにかく、そのころから国男の歌はズバぬけたものがあったやうだ。」


それでは、柳田国男から見た兄・井上通泰の歌の評価はというと…
う~ん、あんまりかんばしくなかったようですね。


※諸先生がたの敬称は、不遜ながら省略いたしました



ブログテーマ:読書の秋
by chikusai3 | 2025-11-20 22:18 | 随筆 | Trackback